線路下のギャラリー
「鳥栖駅130年の歴史展」
1889年12月11日、九州鉄道博多~千歳川(ちとせがわ=現在の筑後川)仮駅間が開通し、鳥栖駅が130年前に開業。開業当時の駅舎(えきしゃ)は現在よりも南方向の瓜生野新町(現在の東町3丁目)にありました。1903年7月に八代線(鹿児島本線となるのは1909年)から、長崎線(本線と改称されるのは1909年)を鳥栖駅から分割(ぶんかつ)・連結(れんけつ)方式で発車させるため、機関車庫や運輸事務所・保線事務所などが必要となり、広い敷地をもとめて現在地へ移ってきました。
現在、私たちが目にする駅舎はその時建てられたもので、屋根の瓦がスレート葺きに変わりましたが、駅舎本体はその当時のまま残っています。したがって長い間、鳥栖地域と鳥栖に住む人々や、鳥栖駅を通過する人々を見つめてきました。鳥栖駅は「交通要衝(ようしょう)の町・鳥栖」を象徴するだけではなく、私たちの生活史を語る記念物ともいえます。
鳥栖駅開業130年記念を契機に、その歴史をふり返ってみました、どうぞご覧ください。
鳥栖駅130年の歴史を
27枚のパネルで振り返ります。
- はじめに-鳥栖駅開業130年
- 九州鉄道の開業に至るまで
- 鳥栖駅の開業と新築移転
- 鳥栖駅の移転時に八坂甚八翁が大きく貢献
- 機関車庫・操車場(ヤード)・坂阜(ハンプ)の開設
- 操車場(ヤード)・坂阜(ハンプ)の開設
- 片倉製糸と日清製粉の進出
- 大型「自動給炭塔」の設置
- 太平洋戦争と鳥栖駅
- 鳥栖駅機関区に配属された蒸気機関車たち
- 鳥栖市の近代化遺産、268号機関車
- 港(ジャンクション)の要・鳥栖機関区
- 機関車庫と転車台
- 鳥栖機関区の象徴・自動給炭塔
- 坂阜(ハンプ)と操車場(ヤード)
- 坂阜(ハンプ)と操車場(ヤード)の仕分け作業
- ライトに浮かぶ坂阜(ハンプ)と操車場(ヤード)作業
- 鳥栖駅及び機関区構内図(昭和29年5月1日現在)
- 鳥栖駅舎とプラットホーム
- 鳥栖駅前と周辺の風景の変遷
- 鳥栖駅前と周辺の風景の変遷
- モータリゼーション‐鉄道の町から交通要衝の町へ
- 長崎本線高架化と蒸気機関車の終焉
- 蒸気機関車から電化そして民営化
- 鳥栖駅周辺整備への流れ
- 現在の鳥栖駅周辺
- 新幹線新鳥栖駅の開業